山形県上山市

35 城下町の風情ただようかみのやま武家屋敷通り

景観の特徴

 上山城西側の武家屋敷通りには、茅葺屋根・鉤型の曲屋の4軒の武家屋敷が軒を連ねて現存しています。これらの武家屋敷は約200年前に建てられたものだといわれており、当時の武士の生活を忍ばせる貴重な歴史遺産となっています。また、武家屋敷通りは景観に配慮した道路整備が行われているほか、地元有志が既存ブロック塀を黒板塀にするなど地域全体で武家屋敷を盛り上げています。

景観物語

藩政時代の息遣いを感じる・・・

【かみのやま温泉の歴史】
かみのやま温泉は、別名「鶴脛の湯」と呼ばれ、長禄2(1458)年、肥前の国(現在の佐賀県)の月秀という旅の僧が、沼地に湧く湯に一羽の鶴が脛を浸し、傷が癒えて飛び去る姿を見かけたのがはじまりといわれています。湯町にある「鶴の休石」は、その鶴が休んだ石とのことで、かみのやま温泉発祥の地とされています。市内には地区ごとに、湯町、十日町、新湯、高松、葉山、河崎、など数多くの温泉があり、これらを総称して「かみのやま温泉」と呼んでいます。新湯、湯町の界隈は城下町として栄え、いたるところに往時の面影を今に残す蔵や屋敷が佇んでいます。また、高松、葉山は、まちなかを離れた静かな高台にあり、蔵王連邦を一望できる抜群のロケーションにあります。

【武家屋敷通り】
 上山城が天文4(1535)年に築城されると、本丸の西・北側には武家屋敷が、東側には羽州街道沿いに町屋が配されました。江戸時代、この仲丁通りには、上山藩の要職にあった家臣が居住していました。現存しているのは、4軒で「森本家」「三輪家」「山田家」「旧曽我部家」が軒を連ねています。4軒とも約200年前に建造されたものと推定され、上山市の有形文化財に指定にされています。

【森本家】
 先祖は丹波国多紀郡大雲郷出身。代々藩主の随伴役が多く、寛永3(1706)年に上山へ定住。文久年間(1861~63年)以降、現在の屋敷に移動したと言われています。
【三輪家】
 三輪家初代飯田小助は豊前の国中津半奥平氏に仕えていた飯田一翁の二男で、寛政8(1796)年に藤井松平氏十一代信古の家臣となり、初めて三輪氏を名乗りました。名も十郎左衛門重胤(しげたね)と改め、江戸藩邸上屋敷に勤務、後に側用人(そばようにん)準参政となりました。
【山田家】
山田家の先祖は常陸国(ひたちのくに)茨城郡笠間の出身。代々惣領席(そうりょうせき)・馬廻席(うままわりせき)のほか、寺社・町・郡・勘定等の各奉行、者頭(ものがしら)・大目付を勤めました。
【旧曽我部家】
 上山市における曽我部家の初代は宗八と称し、宝永5 (1708)年藤井松平氏七代信道(のぶみち)の家臣となり、宗旨(しゅうし)奉行や馬廻(うままわり)役を勤めました。

イベント情報

民俗行事 カセ鳥(2月)
上山城まつり(5月)
やまがたワインバル(7月)
かみのやま温泉全国かかし祭(9月)
高松観音裸もちつき(12月)

グルメ情報

さくらんぼ、ぶどう、ラフランス、干し柿、ワイン
利久堂かりんとう
中條饅頭
上山市はドイツの健康保養地「クアオルト」を手本にした滞在型温泉健康保養地スタイルを提供しています。

まわりの観光スポット

市指定文化財武家屋敷
 森本家、三輪家、山田家、旧曽我部家
上山城(おすすめビューポイント) 0.1km
春雨庵(沢庵和尚の住まい)    0.8km
楢下宿(おすすめビューポイント) 9km
蔵王坊平高原           18km

視点場と周辺マップ

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