まちあるき レポート

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第5回 [新庄市]新庄城下の歴史探険~駅前のディープスポットを巡る!~

2026.3.11

新庄市では令和5年に歴史的風致維持向上計画を策定し国の認定を受け、最上公園を中心に歴史的な建造物の保全や、まちなみ景観を整備しています。また、これから景観計画策定に向けて、市民が景観を学びながら、新庄市の町を形成してきた歴史的な建造物やその背景を知るまちあるきを開催しました。
当日は雨が降る中29名を超える参加者が新庄駅に集まりました。
新庄市の母なる山「杢蔵山(もくぞうやま)」が駅の東口からよく見えます。観光資源の一つです。ここからよく見せるための工夫として、街路樹の高さを抑え、山として認識されるよう表示するとより魅力的な視点場になります。
明治36年開業の新庄駅。当時からある赤レンガ機関庫とその先に見える鳥海山。ここにベンチがあったら自然と眺めたくなる場所になります。
新庄駅前から江戸時代最も賑わいのあった羽州街道と新庄駅を結ぶ道路は、新庄駅開業に併せ整備されたのだそうです。
次に訪れたのは米山邸倉庫蔵。新庄を拠点に各地の軌道整備や積雪地方農村経済調査所の建築に携わった米山氏の個人倉庫蔵です。
新庄市民には通称マーケットと呼ばれる曙町。終戦後、最上公園周辺に出来た闇市だそうで、移転を繰り返し現在の場所へ。狭い空間で飲食店が38軒営業中!
次は「中の川」。昭和49年の水害により大氾濫を起こした河川を、山形県が昭和50年代から順次河川護岸整備を実施し、現在の形になりました。
鉄砲町の消防小屋は比較的大きめの消防小屋で、片側にはポンプ車、片側には新庄まつりの道具が格納されています。新庄まつりの前には、地区ごとの若連の方々が山車を制作するため集まります。
細い路地に入ると、旧・佐藤製粉所があります。大正時代に製粉業を開業され、その後、蔵で製粉業を営いつつ、戦時下で軍事工場とし旋盤を扱ってきた歴史があるそうです。母屋は昭和31年建築の木造住宅で、このあたりの歴史を今に伝える貴重な古民家です。

こちらは、「筋違い橋(すずがいばし)」と言い、かつて、橋の下に「ざぐ」という狐がいて、筋違いの橋を通る人を化かしたという話がある場所です。

次に「石川邸座敷蔵」を訪れました。大正12年に完成した座敷蔵で、現当主の石川氏より過去の文献や歴史背景等を説明頂き、中も特別に見学させていただきました。ありがとうございました。

次に「観音寺」を訪れ、新庄城(現・最上公園)から真っすぐ南東に参道があったとされ、「城主戸澤氏の祈祷を受け持っていた」と言われています。

新庄市役所の敷地内にある秋葉大権現を訪れました。もともと小高い丘があり、秋葉大権現を祀っていた。新庄市役所を建設するため、敷地内で移設されたのだそうです。
新庄市役所を過ぎ、東に進むと川沿いに、通称かわばたがあります。昭和40年代初め、河畔という飲食店が営業を始め、少しずつ店舗が増えた昭和49年、大水害により店舗は流される大災害に見舞われました。現在は、新たな経営者たちで営業中で新庄市職員おすすめの飲食店だそうです。
次に訪れたのは河端(かわばた)跡地。民宿跡地に飲み屋が入り、中の川の傍ということで河畔と付けられた通称かわばたの1軒目の飲食店とのことです。
細い路地を抜け、三吉神社を訪れました。明治43年創業、五十嵐呉服店初代店主の菊太郎が、大平山三吉神社総本宮(秋田市)から分祀しこの地に建立されたそうです。

下記よりルートマップとレポートをご覧いただけます。

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