宝珠山立石寺(山寺)のある岩山は、火山の噴火による火砕流が堆積してできた凝灰岩でできており、永年の水や風の浸蝕によって奇岩・怪石の数々が生み出されました。山寺芭蕉記念館からは、春の桜、夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の山寺の特異な景観をご覧いただけます。
『芭蕉だけではない山形の魅力』
【宝珠山立石寺“山寺”の歴史】
宝珠山立石寺、通称「山寺」は、創建は貞観2(860)年に天台座主第3世慈覚大師「円仁」によって建立されました。当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。
開山の際には、本山である比叡山「延暦寺」(滋賀県大津市)より伝教大師が灯された「不滅の法灯」を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。本山「延暦寺」の「不滅の法灯」が織田信長による焼き討ちにより一時途絶えた際には、ここ山寺立石寺に分灯されたものを移すことで、灯が復活され現在に至っています。
その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もありましたが、江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されました。
元禄2(1689)年には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を残しました。
現在は約百町歩(33万坪)の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、三つの不滅(法灯・香・写経行)が今尚護られています。
【ライシャワー元駐日アメリカ大使の物語】
山寺を訪れ、山形を「山の向こうのもう一つの日本」と称した「ライシャワー元駐日アメリカ大使」の物語があります。
ライシャワー大使は日本で生まれ育ち東洋史を学び、ジョンFケネディ政権時に日本に精通していることをかわれて駐日大使となった方です。ライシャワー大使は山寺を建立した高僧「円仁」の研究家でもあります。大使は昭和40年に山形を訪れた際に受けた山形の印象について、「もう一つの日本~Yamagata-The Other Side Of The Mountain~」と題して、20年後、昭和63年に山形市の女性グループ「風」が制作した英文ガイドブック「YAMAGATA」の巻頭文に寄せています。
そこでは「日本は二つの別の国から成る。一つは工場群と都市、東京圏から北九州まで伸びた、渋滞しっぱなしの高速道路・・・(中略)・・・もう一つは山々や森林に囲まれた都市が点在する快適な居住空間を備えた日本」と記され、山形は後者であるとし「昔のままの大地でありながら、人間と自然の豊かな調和を損なわずに発展する可能性を期待させる将来の日本像」と称しています。
大使が深く研修した円仁ゆかりの地であるここ山寺・芭蕉記念館敷地内には、上記、巻頭文の一節を刻んだ石碑が建立されています。
開山忌(1月)
こけし雪だる祭り・宝探し(2月)
雛のみち・風流茶会(2月~3月)
円仁誕生祭(4月)
日枝神社山王祭(5月17日)
宝珠山ライトアップ・光のロード(7月~8月・10月~11月)
全国俳句山寺大会(7月)
子ども芸能フェスティバル(7月)
山寺磐司祭・全国シシ踊りフェスティバル(8月)
かがり火芋煮会(8月)
大晦日除夜の鐘・光のロード(12月31日)
力こんにゃく(玉こんにゃく)宝珠っこ(おやき)、もろこし
山寺焼(陶芸)
山寺芭蕉記念館
山寺後藤美術館 0.2km
宝珠山立石寺、門前商店会 0.7km
遊仙峡 4km
面白山高原 7km(電車で約7分)
山形県総合運動公園(NDソフトスタジアム山形) 8km
天童温泉 8km