上山市元城内

上山城天守閣から見る市街地と蔵王連峰

景観の特徴

白壁の土堀に囲まれた4階建ての天守閣からは温泉街の風情を残す市街地、上山市出身の歌人齋藤茂吉も愛した蔵王連峰の山々や羽州街道の家並み、四季折々に姿を変える里山の彩りを楽しむことができます。山形新幹線「つばさ」が市街地を走行する姿も見られるかもしれません。

景観物語

『四季のキャンパスは色いろ』

【景観の成り立ち】
 ここ天守閣からは、眼下にかみのやま温泉の市街地が広がり、目の前に端正な山並みの葉山と三吉山、その遠方に蔵王連峰という美しい眺めが広がります。この場所は季節や時間帯で様々にその表情を変え感動をもたらしてくれる絶好の景観と言えます。

【上山城の歴史】
上山市は古くから羽州街道と米沢街道の交差する交通の要衝として知られ、南北朝時代には斯波氏(後の最上氏)が支配しました。
上山城は、最上氏の祖で羽州探題として山形に入部した斯波兼頼の曾孫にあたる上山満長が、市街地の西にある虚空蔵山に高楯城を築いたのが始まりです。永正5(1508)年に伊達氏がこの城を攻め落とし、城主上山義房は逃亡、永正17(1520)年に奪還のため挙兵するも失敗し討ち死にしました。天文4(1535)年に義房の子武衛義忠が挙兵し城を奪還。義忠によって高楯城は廃され、改めて天神森に築城された平山城が現在の上山城です。
虚空蔵山では、昭和7(1932)年に山頂付近で新種のナナカマドが発見され、「でわのはごろもななかまど(県天然記念物)」と命名されました。自然生の株としては世界で唯一のものです。
上山城は、戦国時代には最上氏の最南端の城塞であり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となりました。元和8(1622)年の最上氏改易後、松平重忠(能見松平家)が4万石で入封し、以後蒲生氏、土岐氏、金森氏と藩主が交替し、元禄10(1697)年に松平信通(藤井松平家)が3万石で入封すると幕末まで続き、城下は羽州街道の宿場町として栄えました。
城下町まで含めた諸施設が整ったのは土岐氏の治政下で、月岡・天神森にそびえる3層の天守閣をもつ壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れわたりました。しかし、元禄5(1692)年、土岐氏の転封と共に幕命により取り壊され、現在は堀跡や石垣が当時の名残をとどめています。
現在の天守閣は、昭和57(1982)年に、二の丸の跡に郷土歴史資料館として290年ぶりに再建されたものです。
城の東側、市街地の中央を南北に横切る県道が旧羽州街道です。街道に沿って建ち並ぶ老舗の店や旅館、蔵などかつての城下の家並みがよく見渡せます。
時代は移り変わりましたが、ここからの景色は、城主達も眺めていた景色なのかもしれません。

【三吉山】
 天守閣から見える三吉山は、2017年に山形県より「やまがた百名山」に選定されました。岩石が累々と堆積した岩海がみられ、山頂からは山形盆地の遠望、眼下に市街地の鳥瞰、対峙する西山の美しい山並みが眺望できる景勝地です。また三吉山だけに自生する稀産種のシンエイザクラが見られます。ここは「三吉山の自然を守る会」のメンバーを中心に山道の整備をしており、市民や登山家が訪れる人気の山です。クアオルト健康ウォーキングの認定コースにもなっており、健康づくりで歩く人も大勢います。

イベント情報

奇習 カセ鳥(2月)
上山城まつり(5月)
やまがたワインバル(7月)
かみのやま温泉全国かかし祭(9月)
高松観音裸もちつき(12月)

グルメ情報

さくらんぼ、ぶどう、ラフランス、干し柿、ワイン
上山市はドイツの健康保養地「クアオルト」を手本にした滞在型温泉健康保養地スタイルを提供しています。

まわりの観光スポット

月岡公園
武家屋敷通り(おすすめビューポイント) 0.1km
春雨庵(沢庵和尚の住まい)       0.8km
花咲山展望台(山形県眺望景観資産)
楢下宿(おすすめビューポイント)    9km
蔵王坊平高原              18km

視点場と周辺マップ

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