上山市楢下

羽州街道 楢下宿 金山川沿いから見る古民家と眼鏡橋

景観の特徴

江戸時代に奥羽諸大名の参勤交代の宿場として栄えた羽州街道の宿場町「楢下宿」は、往時の町割りのままで現在も貴重な茅葺古民家が立ち並び、集落内を流れる川に架けられた石造りの眼鏡橋とともに歴史を感じる街並みが残っています。

景観物語

『歴史にふれあうひとときを・・・』

【羽州街道楢下宿】
羽州街道は、福島県の桑折で奥州街道と分かれ、宮城県の七ヶ宿から上山~新庄~秋田~弘前などの城下町を結び、青森県油川で再び奥州街道と合流する497kmの街道です。藩政時代は、津軽・久保田・庄内・山形など出羽国の諸大名13藩の参勤交代路でした。
ここ楢下宿は、出羽国(現在の山形県・秋田県)に入って初めての宿駅で、本陣・脇本陣・問屋・旅籠屋・茶屋などを備えた羽州街道の要衝でした。街道は、集落内で金山川を二つの橋で渡す形で「コ」の字に曲折した珍しいルートをとっており、現在のまっすぐな道は明治16(1883)年に開通したものです。
ビューポイントすぐそばの庄内屋(旧粟野家:上山市指定文化財)は、脇本陣で庄内藩主の定宿でした。楢下宿に残る家屋では最も古く18世紀中頃のものとされています。
駐車場にある大黒屋(上山市指定文化財)は文化5(1808)年に建てられた旧旅籠で、入口から裏まで土間で抜けられる間取りが特徴です。橋を挟んだ対岸にある山田屋(上山市指定文化財)は明治時代の建物で、玄関脇にある吹き抜けの座敷とそこに繋がる二階の部屋があるのが特徴です。
一帯は「羽州街道楢下宿(ならげしゅく)・金山越(かなやまごえ)」の名で、平成9年に国の史跡に指定されました。

【覗橋と新橋】
羽州街道のこの二つの橋は、江戸時代までは木造の橋でしたが、明治初期に石橋に架け替えられました。鹿児島出身の初代山形県令三島通庸が、彼の故郷の石工に作らせたもので、百年以上経った現在も利用されています。
下流側の「覗橋」は西洋の土木技術を取り入れたもので、明治15年につくられました。橋脚がないため、当時の村民たちは不安がりなかなか渡らなかったという話が伝えられています。
また、上流側にある「新橋」は明治13年につくられましたが、その際、県の補助金300円に加えて、残りの700円は地元が負担し、この分を回収するために通行料橋銭を徴収したという珍しい橋です。

イベント情報

かみのやまツール・ド・ラ・フランス(11月)

グルメ情報

こんにゃく料理
しょうゆ・みそ
納豆あぶり餅(要予約)

まわりの観光スポット

楢下宿内(国史跡『奥州街道楢下宿・金山越』)
滝沢屋(山形県指定文化財)、庄内屋・大黒屋・山田屋・武田家・新橋・覗橋(以上、上山市指定文化財)
こんにゃく番所 1km
観光果樹園

視点場と周辺マップ

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